『闘うプログラマー(上・下) / G.パスカル ザカリー 』

闘うプログラマー〈上〉―ビル・ゲイツの野望を担った男達 闘うプログラマー〈上〉―ビル・ゲイツの野望を担った男達
G.Pascal Zachary 山岡 洋一
日経BP出版センター 1994-12
内容(「BOOK」データベースより)
ビル・ゲイツの野望を実現するために、マイクロソフトに「伝説のプログラマー」が引き抜かれた。デビッド・カトラー。屈強な肉体と軍隊顔負けの厳しい職業理念をもつ、闘争心のかたまりのような男だ。そして、彼を追って移籍した腹心の部下たち。新プロジェクトを担う外人部隊が秘密裏に結成された。自由闊達なマイクロソフトの「キャンパス」内で、異分子たちによる空前のパソコンOS開発作戦「NT」の幕が切って落とされた…。
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

MS帝国のビルゲイツくんもいよいよ引退(会長職だっけ?)だそうですね。だからというわけではないんだけど、Windows NT を作った人々のドキュメンタリー調の作品を読んでました。個人的に Windows NTはそんなに使ったことがなくて、私が働き始めたころには安定しているサーバーとして出ていたような気がします。それでもよくクラッシュしてたけど。

いやいやいや、すごいデスマーチですね。これはこの業界の人なら背筋が凍る雰囲気を感じて頂けるんじゃないでしょうか。バグにつぐバグ。迫る納期。かさむ要望。壊れる家庭、恋人、友人関係、自分自身……(笑)

しかし人数の多い、大きいプロジェクトを進行するということはこういうことかと、経験のない自分には面白かった。視点が全然違うのね。プロジェクトメンバーが数人の天才だけだと流儀がぶつかり合い、人数が多いとまとまりがとれなくなる。人々の仲裁役がいて、テスターがいて、それぞれの担当部署(グラフィックとかファイルシステムとか互換性とか)の人がいて。リーダーのデビッド・カトラーのすごい意思(口が悪い、態度が悪い、でも腕は一流、ワーカホリック)を見て、こういう人がOSを作っていたのかと驚き。MSからあまりPGで有名な人を聞いたことがなかったので。

惜しむらくは私が読むのが遅すぎたこと。もっとリアルな時代に読んでたら、より「見えた」のかもしれないのになー。今の時代なら何読めばいいんだろ。Web2.0 とかですかね(笑)

久々に

体調悪い週でしたね。

ようやく持ち直しましたが、ひどいもんでした。体重もいいか悪いか激下がりでしたよ。すぐ戻るだろうけど。よく考えると、精神的な落ち込みではなく、肉体的な落ち込みは1年に1度か2度なんで、今年はあと1回あるかないかでしょうか。

健康一番だと思いました。健康じゃないと精神も暗くなるわ。明日は学校行こう。

『世にも美しい数学入門 / 藤原正彦 小川洋子』

世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)

世にも美しい数学入門 (ちくまプリマー新書)
藤原 正彦
筑摩書房 2005-04-06

内容(「BOOK」データベースより)
「美しい数学ほど、後になって役に立つものだ」数学者は、はっきりと言い切る。想像力に裏打ちされた鋭い質問によって、作家は、美しさの核心に迫っていく。
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

昨日、学校でLinuxが終ったため、講師のさよなら飲み会をやったのだけど、やはり風邪の身体にはヒジョーにきつかったようで、えらい勢いで酔った。というわけで、今日は家で休んで一日中寝てました。今週は風邪にやられまくり。明日の飲み会もパスしちゃったし、残念だ。

さてそんな体調なんでパソコン弄る気にもならず、珍しく家で読書した。この本は数学者の藤原正彦さんと「博士の愛した数式」の小川洋子さんの座談会をまとめており、非常に軽い内容でした。でもやっぱり「数学は美しい」と連呼してるのをみて、本当にそのとおりだと思ったよ。永遠の真理の美しさと本にはあったけど、例えば「三角形の内角の和が180度」。これはどんな人がどんな場所でどんな三角形を作ったとしてもそうなるんだから、すごい。永遠だよなあ。

あと素数。素数って、こないだ暗号の方式に素因数分解を使っているというのを読んでから結構気になっているんだけど、なかなかすごいやつらだよね。素因数分解で「任意の正の整数に対して素因数分解はただ 1 通りに決定する」というのがすごい。一通りしかないんだよ!?

あと本書で知ったゴールドバッハの問題というのも興味深い。この問題は「6以上の偶数はすべて二つの和の素数で表せる」というものなんだって。6=3+3, 8=3+5, 10=5+5 or 3+7, 12=5+7, 14=7+7 or 3+11 … でもこの問題ってまだ証明されてないんだって。わかる範囲ではオッケーなのに証明されていない。数学は証明がすべてだから、証明されてなければまだ真実じゃないんだよね。ううむ。

本のテーマとして「美しい定理」とあるけど、この「美しい定理」というのがとても大事で、世界が美しい定理で表されるのを見ると、「うわー!」と思うときがある。人類の英知、数学。この楽しさをどーして学生時代にわからなかったかなあ。私は。

『生き抜くための数学入門 / 新井 紀子』

生き抜くための数学入門 (よりみちパン!セ 23)

生き抜くための数学入門 (よりみちパン!セ 23)
新井 紀子
理論社 2007-02

出版社 / 著者からの内容紹介
数学は、わけわかんないこの世界を生きぬくための、ナイフみたいに基本的な道具。「そもそも、それってなに?」から始めて、リアルな答えを探す。数学というナイフの研ぎ方、使い方を伝授。
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ティーンズの棚にあったこの本。数学の考え方を教えてくれ、絵なども多く漫画的でわかりやすかった。しかし、ほんと、数学にはびっくりさせられるんだが、今回も驚きの出来事があったのだ。

0.999….(9が無限大)の場合って = 1 だって知ってました?≒ニアイコールじゃないのよ。=イコール1なの。

?! おかしくないですか?だって0.999…って1じゃないじゃん。1 – 0.999… を考えると、= 0.000…01 と何かしらの差がありそうじゃないですか。でも論理的に考えていくと、それは1になっちゃうのだった。0.999… と 1 の間にどんな数がありますか?と本は問う。んー、たぶん 0.999…95 とか?と考えると、あれ?0.999…95 と 0.999…995だったら後者のほうが1よりに近いよなとなり、それなら 0.999…9995とか…と考えると、9が無限大に続くと、数の大小が定まらなくなっちゃうのだ。

そして何より 1/3 って 0.333…と循環小数になるよね。でも 1/3 * 3 だと 1になる。 つまり 0.999… は 1にならないとおかしい。そういうわけで、数学を論理的に考えると、感覚とは違うことが起こる。──おもしろい。

ま、これは”無限”という概念を取り入れてるからかもしれないんだが、無限とか四次元とか普通の生活をしてると想像しにくいものが「見える」のって訓練が必要なんだなあと思ったよ。

あと後半にsinやcos、数学で美しい式と言われるオイラーの等式 eπi+1=0とか出てきたんだけど、やっぱりよくわからんかった。本当に微分や積分については何を読んでもさっぱりつかめない。数を読むしかないのかー。

まだまだ冒険は続く。

私と青梅

梅酒や梅シロップに漬かってる青梅あるじゃないですか。あれを食べると決まって腹痛が起こるんですよ。

昨日は身体が弱ってたせいか、すんごい冷や汗がダラダラ出てきて吐くまでに至りました。おっかしいなあ?

うちの家族は平気でバクバク食べているのです。私も1つぐらいなら平気なのです。でも2個3個食べると(それ以上はない。というかそんなに食べるものでもないし)、大変な事件が発生するんだよね。

ちなみにこれで連続3回目。1回目や2回目は「他の原因か?」と疑っていたんですが、昨日は「これで起きたら3回目だな」と思って食べたら、ほんとに痛くなった。これは青梅に何かしらの成分があって私にはアレルギーが反応が出てるに違いない!とググってみたら、生の青梅には青酸という毒があるらしいですね。でも熟したりアルコールに漬けたりすることで、毒は中和されるんだって。そもそも食べた量が全然桁違いだし。

Q  青梅の毒について知りたい。
A  未熟の青梅の種には、アミグダリンという青酸配糖体が含まれていて、梅自体の酵素作用により分解し、青酸を生じることがあります。ただし、青梅中のアミグダリンによる致死量は、成人で300個、子供で100個に相当し、通常の食習慣では考えられない量です

これはあれか?プラシーボ効果ってやつなのか?それで腹痛が呼ばれているのか?!

でも青梅はもう1個しか食べないことにした。ジャムにしちゃうか?

30秒くらい見てから部屋を見回す


 

うわー!おもしろーい!!! もともとニコニコの動画で見かけたんだけど、(おそらく)転載元のyoutube版をリンクしておきます。

ずーっと映像みて、エフェクトかかった後に壁や手のひらをみるとちょっと面白い。

これ、生体メカニズム的にはどういう仕組みなのかな。残像?

『聖の青春 / 大崎 善生』

聖(さとし)の青春 (講談社文庫)

聖(さとし)の青春 (講談社文庫)
大崎 善生
講談社 2002-05

出版社/著者からの内容紹介
将棋の知識は必要ありません。 村山聖、A級8段。享年29。病と闘い、将棋に命を賭けた「怪童」の純真な一生を、師弟愛、家族愛を通して描くノンフィクション。新潮学芸賞受賞作。 重い腎臓病を抱え、命懸けで将棋を指す弟子のために、師匠は彼のパンツをも洗った。弟子の名前は村山聖(さとし)。享年29。将棋界の最高峰A級に在籍したままの逝去だった。名人への夢半ばで倒れた“怪童”の一生を、師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して描く感動ノンフィクション。
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

通学電車のなかで、何度も本から目線を外さなければならなかった。泣きそうだったからだ。

私は将棋について、駒の動かし方ぐらいしか知らないレベルなのだが、昔から羽生名人(今は永世名人か)が好きなので将棋のニュースはなんとなしに気にしていた。そんななかにこの村山聖という名前の棋士は何度か出てきて、「あぁ早くに亡くなっちゃったんだよねえ。名人を狙える人だったらしいねえ」という認識ぐらいでしかなかった。しかし、この本を読んで本当にすごい人だったんだと感じ、彼の鬼気すら感じる将棋に賭けた人生にほとほと感服した。

村山聖は幼いときからネフローゼという病気を患い、死が身近にあった。限られた人生という意識のなかで将棋に出会い、名人になるという目標のためにがむしゃらに生きた。性格的にはかんしゃく持ちだし家族に当り散らしたりライバルに敵意剥き出しだったりしているけど、すべての行動は「将棋」のためであった。

また村山は漫画が好きで自宅に何千冊も貯めていたらしい。その漫画を代わりに買いに出かける師匠のエピソードは非常に心温まる。村山の周りの人々、特に家族や師匠やライバルたちが村山聖をいかに愛していたかがよく伝わってくる。

やっぱりひとつのことを一生懸命やって生きている人は素晴らしい。何度も言うけど、自分はそういう生き方が出来ないので出来る人に憧れるのだが、そのなかでもこの村山聖は特別にすごいと思う。そして将棋雑誌の記者だった著者の文章が(多少小説風だが)見事に彼の人生を描写してると思う。

Amazonの書評でもレビューが50あるうち、★5つが46、★4つが3、★3つが1という高評価のこの本、ぜひぜひ読んでみてください。彼の生き様に「人生ってなんだろう」と考えることしかり。

空白の10年飲み@新宿

金曜日の酔ったあとにブログを書くというのが恒例だから、一応日記。あとで自分で読み返すと別人が筆記しているようで結構面白い(=恥ずかしい)んですけど、それもせーしゅん(違うだろうけど)。

しかし、今日の面子は大学時代の先輩だったんですが、実に逢うのは10年ぶりぐらい。そしてその間に難病を患ってしまって、本当に生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよった人であり、大きな手術もされました(曰くサイボーグ化)。

いや、一線越えた人の強さを感じました。先輩、すごいです。私はちょっとあそこまで笑えないっす。色々と悩んだ時代とかもあったようですけど、ああやってニコニコしているのがすごいなあ。

でもね、「生きるってなんだろう」ということをまた感じましたよ。やはり考えていきたいテーマです。

追伸:案の定、起きて読むと自動書記の気分を味わいました。自分が書いた内容がよくわからん。置いておきますが、二件投稿してみたりとハッスルハッスルぅしてた模様です。

世界遺産検定

ちょっとこれ何?!電車の中吊りにあったんですが!

<世界遺産検定>

世界遺産検定(正式名称:世界遺産学検定)は、人類共通の財産・宝物である世界遺産についての知識を広げ、理解を深めて、先人や地球が残してくれた遺産から多くのことを学ぶとともに、学んだことを社会に活かし、世界遺産の啓発と保全活動の輪を広げることを目的に実施する検定です。検定試験を通じ、世界遺産の理解度や習熟度を基礎から専門分野に至るまで幅広く総合的に測ることができます。

……ですって。 

うわー、これはあれか?資格検定好き(という程でもないが)で世界遺産大好きな私のためにあるような検定か?こんなどこがやってるんだかわからないような、誰もしらない試験のために8000円だして(2級・3級併願)受けろってか?

──ちょっと問題集買ってくるわ。

『開かれた小さな扉 / バージニア M. アクスライン』

開かれた小さな扉 新装版―ある自閉児をめぐる愛の記録

開かれた小さな扉 新装版―ある自閉児をめぐる愛の記録
バージニア M.アクスライン
日本エディタースクール出版部 2008-01
<出版社HPより>
かつて極度の情緒障害のあった子供が、強く健康な人格にまで立直る物語である。物語は主人公ディブスがほぼ2年間ある学校に通ったところからはじまる。最初、彼はまったく口をきかなかった。ときには午前中いっぱい黙って動きもせずにすわっていたり、ほかの児童や教師のことは忘れて勝手に教室内をうろつきまわったりした。そんな主人公ディブスが複雑な人生の過程を体験していく中でしだいに彼の世界を保障するものは彼の外部にはなく、熱心に捜し求めてきた安定の主軸はじつは自己の奥底にあることを発見する。
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

新装版が出ているようですが、実は1972年発行とずいぶんと古いので、今の児童心理学の現場では違うのかもしれない。しかし、とても面白い本であった。

これは児童心理学者の著者が行った遊戯療法による、ディブスという自閉症の(症状に近い)子供の治療のノンフィクションの記録である。遊戯療法とは遊びをコミュニケーション、および表現手段として行う心理療法だそうだ。最初、箱庭療法を思い出したんだけど、それはこの遊戯療法から派生したそうで、なるほどどこか似てるはずだ。

「遊びを通して」ということは、子供と一緒に遊んで褒めたり何かを解析したりするのかしら?と思ったら、これが全然違う。アクスラインさんは子供に何も指示しないし、強制しないし、彼の行動を解析することはない。遊戯室で子供が家に帰りたくなくて泣き出すシーンがあるんだけど、そのときにも「ディブス、あなたはここに1時間しかいられないの」と “1時間だけ”という制約をきっちりと守らせ、いっそ冷徹ですらある。そして彼女が遊戯室でしていることは、子供のやっている(言っている)ことを反復しているだけだ。

「把手つける」彼は言った。そして私の鉛筆に手をのばして、ごく慎重に人形の家のドアに把手を描いた。
「ドアには把手がなくちゃと思ったのね?」私がたずねた。
「そう」彼はつぶやいた。彼はドアに錠前も描いた。
「錠前もついた!」
「そうねわかるわ。ドアに把手と錠前をつけたのね」
「鍵でしっかり閉める」彼は言った。「高い高い壁がある。ドアもある。鍵かけたドアも」
「そうね」私が言った。

このディブスの行動にも「鍵」「ドアを閉める」「高い壁」など、心理学的にわかりやすそうなモチーフが出てくるけど、彼女がそれを解析して意味を与えることはない。しかし、本を読み進めるうちに、ディブスは自己を確立し、感情をコントロールし、憎悪や復讐心に対して寛容の気持ちを持ち、まわりとコミュニケートできるようになっていく。この経過が、ディブスの遊びの内容や言葉の端々に現れていく様は非常に興味深い。たぶん、この遊戯療法の意味は以下、ディブスが数年後にアクスラインさんに会ったときの言葉に表れていると思う。

「あなたはぼくのすることを、なんでもしてくれたね」彼はつぶやいた。「ぼくの言ったことを、みんな言って」
「そうよ、そうだったわね!」
「うん。『ここはあなたのお部屋よ、ディブス』って言ったよね。『あなたのものよ。楽しくなさい、ディブス。楽しくなさい。だれもあなたをいじめないから、楽しくなさい』って」ディブスはため息をついた。
「そしてぼくは楽しかった。生まれて初めてだったな、あんなに楽しいことは。ぼく、遊戯室の中にぼくの世界を作ったっけね。覚えてる?」

ディブスにとってアクスラインは、初めて自分のことを理解・見守ってくれる存在であり、閉じこもっていた世界から外の世界への扉だったのかなあ。そして遊戯室という世界で彼は自己を見つめなおしたのかもしれない。ちなみにディブスは当時6歳。「子供だからわからないだろう」と大人が思う以上の深い理解を子供は色々としているんだということを知りました。

かなり面白かったので一気に読んでしまった本。おすすめ。