世の中には「ここ!」というタイミングがあって、それを掴むか逃すかで右にも左にも変わるんだなあ。
今回のはいいタイミングだった。
世の中には「ここ!」というタイミングがあって、それを掴むか逃すかで右にも左にも変わるんだなあ。
今回のはいいタイミングだった。
おくりびと [DVD] アミューズソフトエンタテインメント 2009-03-18 <内容紹介> |
実はこの映画、仕事相手のタイ人に勧められていて感想を求められていたのです(ちなみに英題は Departure というらしい)。観なきゃなあとは思っていたものの、映画は好きではないので放置していたんだけど、先日の祖母のお葬式で「人の最後ってなんだろう」と考え、私の街にもようやくレンタル屋が出来たという偶然が重なったので、これは観ないと、と借りてきた。
単純に先日お葬式があったせいだと思うんだけど、色々重なりすぎて泣いた。しかし、山崎努は何の役でも上手いなあ。白子を食べるシーンで「困ったことに、美味いんだな、これが」ってやつ。唐突に伊丹監督の「タンポポ」を思い出したんですが、山崎さんもタンポポに出てたし、生と死と性と食ってなんかつながってるのかな。あのぷっくりとした白子、食べたい。
ストーリーとしては少し薄い気もした。ありがちといえばありがち。でも本木くんの納棺師としての所作は美しかったな。広末は普通にかわいいと思いました(異論は認める)。正直、主役の二人の夫婦より、脇役が上手かったので場が持った映画だとは思いましたが、この話を映画化したいと思った本木くんの情熱は買う。
私のなかでは「今」のタイミングで観る作品でした。
約一年ぶりにTOEIC受験した。
もういいの。愚痴は言わないの。この結果見てやる気出すんだ……(たぶん)。
しかし、TOEIC会場は超寒い用と超暑い用の格好を用意していかないと対応できないね。前回の反省を生かし、上着を持っていって正解だった。クーラー直撃で手足が冷えた。
NODA・MAP 第15回公演
ザ・キャラクター@東京芸術劇場
友達の知り合いの代打で行ってきました。ものすごい久しぶりの野田芝居。たぶん「贋作・罪と罰」以来。
昔のイメージだと、掛詞とよく走る芝居だと思ってたんだけど、掛詞は相変わらず健在であったが、そんなに飛んだり跳ねたりではなかった。野田さんも歳取ったということなのかしら。書道教室が舞台でギリシャ神話を織り交ぜた話でした。紙と神が掛かってたり、漢字がキーワードになったり。
しかし特筆すべきは、宮沢りえ。こんなに舞台が上手いとは思わなかった。古田新太がもう少しやってくれるかと期待しすぎたせいもあるけど、今回の一番な役者さんでした。顔小さいしなー。橋爪さんが物忘れが多いという役を演じていたんだけど、本当に台詞忘れてるんじゃないかというぐらいの演技っぷりでした。
帰りにHUBでモヒート飲んで帰る。この友人、私より沸点低かったはずなのに、いつのまにか忍耐強くなってた。みんな、大人になりすぎだよー。置いてかないでくれよー(笑)
自分用メモ。
この一週間ぐらいで立て続けに人とケンカした。どちらの人も私が好きな人だったんだけど、一人には「君が嫌い」というようなことを言われ、もう一人にはケンカの延長で完全に切られた感じ。
私自身、嫌いな人には「嫌い」というタイプなので、人からされるとこういうことかと身をもって体験中。そうかー、こんな感じがするんだなあ。因果応報だわな。目も合わせてくれないぜ!(私も合わせられないけど)
ずっと老人ホームに入っていて、ちょうど一週間前ぐらいに危ないと言われた祖母が亡くなった。そのため、両親と福島へ急遽帰郷。ちなみに福島は母方の実家で、小さいときは結構遊びに連れていったもらったけど、大きくなってからはほとんどないので、いろいろと懐かしかった。
どちらかというと大往生だったので、暗くないのがなにより。
しかし、親戚がものすごく多く、祖母のひ孫にあたる子供たちもたくさんいたので、わーわーと騒ぎまわっていて、普段子供と接していない私にはそれだけで疲れた……。全部で20人ぐらいは居たんじゃなかろうか。
田舎のお葬式はやはり豪華で、これまた興味深かった。豆と豆腐を食べるとか、てぬぐいを首から下げるとか、3日7日という言い回しとか。知らない世界だなあ。他にも、出棺の際、いわゆる死装束を着せるのにも、足袋は左右反対で履かせるとか、結び目は輪を作らず(戻ってきちゃうらしい)縦結びの結びきりだとか、三途の川を渡る渡し賃(だと思うんだけど)六文銭入れだとか。こういうのって残された人々が最後に亡くなった人にする気遣い(無事たどり着けるように)で、宗教的に信じてるわけではないけど、そういうの(気遣い)って純粋にいいなと思った。
思い出すのも疲れるくらい怒ったので、詳細は書かない。
ただ本当にこちらは心配してたのに、騙された感じ。なんなの、あのひとたち。
村上春樹、河合隼雄に会いにいく 河合 隼雄 村上 春樹 岩波書店 1996-12 内容(「BOOK」データベースより) 村上春樹が語るアメリカ体験や’60年代学生紛争、オウム事件と阪神大震災の衝撃を、河合隼雄は深く受けとめ、箱庭療法の奥深さや、一人一人が独自の「物語」を生きることの重要さを訴える。「個人は日本歴史といかに結びつくか」から「結婚生活の勘どころ」まで、現場の最先端からの思索はやがて、疲弊した日本社会こそ、いまポジティブな転換点にあることを浮き彫りにする
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読書という行為には、必然性と偶然性とがいろいろと絡み合って、読み手の状況や精神状態で同じ書物を読んでも受け取り方が違うのだと思うのです。
今回、何も考えずに図書館に行って適当に借りてきたんだけど、読み始めたら一気に読んでしまった。近日、読書に集中できてないのでこれは珍しい。おそらく色々と自分の悩み(というほどでもないけど)を彼ら二人の対談内容に投影したからだと思う。
そのキーワードは「コミットメント」や「よりどころ」ってところ。コミットメント、という単語はビジネス用語での意味しか知らず、「必達目標」という意味だと思ってたけど、「関わりあい」という意味もあるのね。村上さんは、昔はデタッチメント(関わりのなさ)を意識的に行ってたけど、コミットを考えるようになって、それで何にコミットするかを迷っているというようなことをおっしゃってた。そして、やっぱり私も何とコミットしていいのかよくわからんまま、今過ごしている気がしてる。会社でもないし友達でもないし家族でもないし自分自身でもないし。もっというと「人」とコミット(関わりあう)するというのがよくわからんのだよね。いや、もしかして関わりあうのは人じゃなくてもいいのかもしれないんだけど。
要は自分が浮ついている(生き方含めて)のは、他者とコミットしてないのと拠所みたいなのが無いせいなのかなと思ってみたり。*でもこないだの仏教の本には「よりどころ」を持つのは良くない、と書いてあったけどね!よりどころがあるとそれで一喜一憂しちゃうからとかなんとか
……と、つらつら文を書いてみてもまとまらないな。もうちょっと寝かせてみます。あ、本は面白かったよ。自分に井戸を掘らねばね。
友人が急に温泉行きたい病にかかったので、お付き合いで行ってきた。軽く都内日帰りツアーです。
場所はここ。天気も良かったし、露天風呂でのんびりだったよ。
岩盤浴とアカスリを初めてしたのですが、岩盤浴はすごい汗出るのねー。サウナほど暑くないのにいったいどんな仕組みなんだろうか。アカスリは身体がつるつるになった。これはすごい。けっこう若いカップルなどいらっしゃってて、岩盤浴デートなんていうのはかなりいいんじゃないかと思いました。まったりだよ。
帰りにビール飲んで、すんごい幸せな気持ちになりました。いいよねぇ、温泉!しかし翌日の身体のだるさといったら、ありませんでした。こういうのって体力無いのが関係あるのかね?
怒涛の飲み会月間が終わりました。
ものすごくどうでもいいネタではあるのですが、ここのところ、わたくし=飲むのが好き、みたいに言われることが多くて、ちょっと首を傾げてます。
もちろん嫌いじゃないんだけど、そんなに飲んでるわけでもなく、外で飲む=人と話すというのが好きなだけだし(だから大人数の飲み会はプライベートではしない)、毎日飲みに行ってるわけでもないしね。
というわけで、3年間をアバウトに分析してみました!
もうちょっと一定した数になるかと思いきや、ギザギザでした。自分のなかで飲むのが流行る時期と引きこもる時期があるようですね。
というわけで、知人たちにはそのように啓蒙しておこうと思います。全然普通だったよ!
さて順番からいくと今月は落ち着く月間だけど、果たしてどうかしら?飲みに行かないとヒマなんだよなあ。←これがいかんので代替の何かを探さねば。