Rちゃんはすごい

20120808.JPG4月に一回会ってたんだけど、Rちゃんが「飲みませんかぁ~?」と言ってたので、おや、日本にいるんだと会ってきた。

おー、どうしたRちゃん。いつまでいるの?と聞いたところ、オーストラリアを引き払ってきたとのこと。しかも決めてから2週間で帰ってきたというので、相変わらず彼女のパワーはすごいな!と驚いた。

詳細は割愛するけど、Rちゃんが日本でうまくいくといいんだけどなあ。でもRちゃんのことだから、すぐどっかに行っちゃう or 決めちゃうかもなあ。

しかし、彼女(8歳ぐらい下かな?)のパワーはすごい。石橋を叩いて渡らない私としては、その決断&行動力を見習いたい。

しばらく日本にいて稼ぐようなので、また会うことでしょう。がんばれー、Rちゃん。

N先生お墓参り2012

今年もまた恒例のイベント。

この機会がないと全く会わないんだけど、1年に1回の近況報告会が楽しい。といっても、今回は最初から参加は私とまろ。後から、なんちゃん合流で、飲み会だけ、うめちゃんともりぞーだった。

今回のお宅にもベリーズ隊が居たんだけど、去年とはまた少し違っていてなかなか感慨深げ。手ぶらで行ってしまったので、次回は何でもいいから手土産を持っていこうと心に決めた。お寿司もご馳走になってしまった…(美味しかった)。

恒例飲み会の近況報告は皆相変わらずで良かったなー。まろのりラックマ度も上がってるし、U先生は先生っぽくなってるし、なんちゃんは転職考えてるし、もりぞーは転職してるし!

たまにもりぞーがこのブログ見てくれてるみたいなんだけど、そう言われてちょっと嬉しいやら恥ずかしいやらで焦った。なんだろ、ネットという一般公開してる場所にはあるんだけど、第三者に向けてるのとはちょっと違うから書き綴ったポエムを読まれてる感じ?笑

あまり会わない私たちなので、秋ぐらいに(12月だと皆さん忙しいだろうから11月)また会おうよ!と約束してお別れ。

にゃんこ先生がまだ我々を繋いでくれてるんだなーと、しんみりと思った。

ポルトガルのリスボンに行った / その6

20120731.JPGさてリスボン旅行も終了。

写真は ポルトガルのお菓子。スイーツ大国とは聞いてましたが、どれもなかなか美味しかったです。左の大きいのは、パォン・デ・ロー(カステラの原型と言われてる)、上がティピア、骨の形をして中はカスタード、そして右下はナタ(エッグタルト)。

pao de lo は半生タイプと固いタイプがあるらしいけど、これは半生。素朴な味です。

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ポルトガルのリスボンに行った / その5

20120730_1.JPGだんだんメモが面倒くさくなってきたので、端折ってメモ。

この日はたしかリスボンをまたうろうろしていた記憶があります。写真は(私は知らなかったんだけど)消臭力のCMでミゲル君がバックにしてうたってる場所。

昔リスボンも地震と津波による被害を受けたらしいんですけど、ここまで復興したというメッセージがこめられているらしい。

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ポルトガルのリスボンに行った / その4

20120729_1.JPG本日はオビドスというところにバスでおでかけ。

リスボンから2時間ぐらいだったかしら。ちょっと長距離バスの場所がわかりにくいんですが、こじんまりとした町です。ぐるりと城壁に囲まれています。

ここの特産は Ginjaというさくらんぼを漬けたお酒。ジンジーニャと呼んでますが、甘いリキュールみたいな感じ。私は結構気に入って、リスボンでもジンジーニャのショットバー(1杯くっと飲める)を見つけたら、入って飲んでおりました。くどい甘さじゃなくて、さらっとしてたよ。

夕方にはリスボンに戻ってあたりをうろうろしていました。

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ポルトガルのリスボンに行った / その3

20120728_1.JPG本日はリスボン散策。

トラムと地下鉄を乗り継いで、ベレンの塔や発見のモニュメントなど見る。ベレンの塔からテージョ川を見つつ、よくここから世界を目指したなあと、未知の航海へと旅立った人々に思いを馳せたり。

すごいよね、昔の人って。まるっきり未知の世界だろうになあ。

この写真は「リスボンらしい」風景のケーブルカー。

七つの丘の町と言われる所以でもあり、坂の多い街でした。歳をとると上り下りが大変そうだったよ。

 

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ポルトガルのリスボンに行った / その2

20120727.JPG体力のあるうちに観光を、と 電車とバスを乗り継いで、王道のシントラ – ロカ岬観光。ムーア人の城壁とロカ岬へ行きました。

シントラというのはリスボンに近く、昔は夏の離宮だったそう。ちなみにムーアとは北西アフリカのイスラム教徒の呼称だそうで、昔のレコンキスタ(国土回復運動・世界史だ!)を思い出しますね。

写真は、ロカ岬。ヨーロッパ最西端。

ここを謳った詩がまた格好よくって、「Onde a terra acaba e o mar começa」とカモインス(ポルトガルの詩人、その後もよく見た)が書いてます。「ここに地終わり、海始まる」と聞くとグッときます。ちなみにここは、最西端到達証明書なるものを発行していて、私も発行してもらってしまいました。あはは。

しかし、ムーア人の城壁はかなり高くて、ちょっと高所恐怖症の気がある私には怖かったっすわ。壁を触ってないと移動できないレベル。昔の人はすごかったんだなあ……

ポルトガルのリスボンに行った

20120726.JPG昔、ポルトガル語をしゃべる地域にちょっとだけ居たことがあるんですが、いまや全く使う機会もなく、なんかポルトガル語を聞いてみたいなーと思って、今年の夏休みはポルトガルに向かうこととなりました。ブラジルも行ってみたいんだけどね。ちょっとね。遠すぎるよね……。

写真は私が愛する朝ごはん。

生ハムサンドにエッグタルト、コーヒーは cafe bicca と呼ばれるエスプレッソ一杯分だけど、私はコーヒー好きなので cafe duploというダブルサイズが好みです。

しっかし、ドイツ経由だったんだけど、ミュンヘンまで11時間、そこから2時間待ちで3時間かけてリスボン。ヨーロッパが遠すぎて、この時点でもう当分来なくていいかなと思いました。

福島の夏

20120715_1.JPG福島という土地には割と縁があり、母の実家があり、友人たちとドライブに行ったり、協力隊で訓練をした場所があったりと、親近感があるのです。

しかし3.11以降、「福島」という単語はどこかこう重くなってしまいました。それはとりもなおさず、原発が原因です。

東京では毎週金曜日に原発デモが行われてたり、反/脱 原発の話をそこかしこで耳にしつつ、「うーん。原発が無くなるんだったらそれはそれでいいんだけど、そう簡単に言えるものなのかな?」などと思っていたのです。

日本人として、3.11と、原発と、この先も付き合っていかねばと思うので、今の福島を見たいなと。テレビや写真の向こうにあるどこか他人ごとな世界じゃなくて、自分が訪れていた福島と、今は何か違ってるのかなと思い、昔、福島勤めだった人が「福島行くよ~」というので、一緒に連れていってもらいました。

決して、物見遊山な気持ちでは無かったんだけど、観にいくという行為は、結果的にはそうなってしまったかもしれない。でも自分で体験しないと、私の立ち位置が決められないような気がしたのです。

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Pemba, Mozambiqueの風

20120707.jpgアフリカ時代にお世話になったJさんが一時帰国しているというのであってきた。

写真はもらったお土産。

よく行ってたスーパーのビニール(笑)、カプラナ(布)2枚、モザンビークステッカー(最近ステッカーを集めてるのだ)、エジプト周りだったらしくファラオのボールペン(すごいマッチョ)、南アの赤ワイン(美味しかった!)、タンザニアのコーヒー。

重かっただろうにありがとうございます!すごい嬉しいなあ。

そして噂話じゃないけど、誰がどうしてるとかああしてるという話を聞いたり、近くでガスオイルが見つかったらしく、利権問題が勃発してたりとか、いろんな話を聞いた。さすがに5年近くも経てばいろいろ変わってるんだと思うけど、いまだに生徒たちも Teacher, Como esta? とメールをくれたりするので、アフリカに行きたいなあと思った。でも働いてると短かすぎて行けないんだよなあ…。

Jさんはアルコールを飲まないので、昼間のお茶だったんだけど、アルコール無しで、人とたくさん話したも久々でした。まだしばらくいらっしゃるみたいなので、また会うつもり。