『茶の本 / 岡倉 覚三』

茶の本 (岩波文庫) 茶の本 (岩波文庫)
岡倉覚三(著) 村岡 博(訳)
岩波書店 1961-01
メタローグ

今世紀の初めは、日清戦争が終わり日露戦争が始まる動乱の時代だった。日本美術院の創設者で、ボストン美術館東洋部長の要職にあった天心岡倉覚三(1862 -1913)も、西と東がせめぎ合った時代の子である。本書を英文で書いた天心は、日ごろ欧米人が飲んでいる茶には、調和を重んじる東洋の精神が息づいていることを、ユーモアをまじえ説いていく。たかが一杯の茶だが、心を澄まして味わえればそこには東洋の宗教、倫理、芸術の粋がある。西洋の人々よ、小さなものの中に潜む偉大さを見逃してくださるな―。先覚者の祈りが込められた名著である。(宮川匡司)
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岡倉覚三は岡倉天心ですよね。岡倉天心というと、フェノロサと日本美術を復興させた人でしたっけ。

「茶の本」って名前は知っていたけど読んだことないので、チャレンジしたんだけど薄いのに非常に読みにくかった。しかし言い回しが面白い(ような)気がした。元は英語で書いてある本のはずなんですが、訳したのがすごいな……。

よその目には、つまらぬことをこのように騒ぎ立てるのが、実に不思議に思われるかもしれぬ。一杯のお茶でなんという騒ぎだろうというであろうが、考えてみれば、煎ずるところに人間享楽の茶碗は、いかにも狭いものではないか、いかにも早く涙であふれるではないか、無辺を求むる渇きのとまらぬあまり、一気に飲みほされるではないか。してみれば、茶碗をいくらもてはやしたとてとがめだてには及ぶまい。

なんかリズム感がある訳ですよね。あと陸羽の茶経の話も引用されていたけど、面白いなあ。

彼の説によると、その水、山水を用うるは上(じょう)、江水は中、井水は下である。煮沸に三段ある。その沸、魚目のごとく、すこし声あるを一沸となし、縁辺の湧泉蓮珠(ゆうせんれんしゅ)のごとくを二沸となし、騰波鼓浪(とうはころう)を三沸となしている。

それってどんなのなんですか!!

あの時代に日本文化を誇りにし、西洋に毅然と説明しようとする姿がすごい。日本人でも新しもの好きな人には古い(ダサい?)と思われていたのかもしれないのにね。

私には読みこなせなかったので、いまいちこの本の真髄がわからなかったけど、今後の人生において茶道とバッティングするときがあったら、また読んでみたいと思う本でした。