『オオカミ少女はいなかった / 鈴木 光太郎』

オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険 オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険
鈴木 光太郎
新曜社 2008-10-03
内容紹介
否定されているのに事実として何度もよみがえり、テキストにさえ載る心理学の数々の迷信や誤信。それらがいかに生み出され、流布されていくのか「人間の営み」としての心理学のドラマを読み解く!
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ビジネスアワーを北島マヤ@ガラスの仮面ばりに演じますわ!と言ってた私ですが、北島マヤというと狼少女ジェーンという芝居の役をこなすために、芝居以外でも狼少女になりきっていたことが思い出されるわけです。単にその題名つながりで選んだだけだったんですが(どんな理由だ!)、まあまあ面白かった。

オオカミ少女の話とは、昔インドで見つかったオオカミに育てられた(と言われてる)アマラとカマラの話。この話がまとこしやかに真実として伝えられているのはおかしい、と。反証は色々と出ているんだけど、「人間はオオカミの乳を消化できない」と読んだあたりで、無理じゃん…と思った。

あとはサブリミナル効果とか、双子の実験(知能は遺伝によるか環境によるか)、母親が赤ちゃんを左胸で抱くのは心音が安心させるからだとか、プラナリアの実験(反射学習をさせたプラナリアを切断して再生したものが記憶を持ち続ける。共食いさせても(!)記憶が移る。記憶物質の話)など、なかなかに興味深い実験に対して、「ここがおかしい」と実験のバックボーンに対して色々と指摘していた。

読んでて思ったんだけど、扱われてる実験の批判を知らなかったら「そうらしいよ?!」と嬉々として人に言いたくなるようなものばかりだった。無知って怖いなあ。「そうだったら面白い/わかりやすい」ということがあるのかもしれない。心音の件なんて、真実だと思ってたもんね。今後はおもしろそうな話を聞いても、どんな実験で・どんなデータが取れたかということを気にしたい。