『夜と霧 新版 / ヴィクトール・E・フランクル』

夜と霧 新版 夜と霧 新版
ヴィクトール・E・フランクル(著) 池田 香代子(訳)
みすず書房 2002-11-06
内容(「BOOK」データベースより)
心理学者、強制収容所を体験する―飾りのないこの原題から、永遠のロングセラーは生まれた。”人間とは何か”を描いた静かな書を、新訳・新編集でおくる。 Amazonで詳しく見る
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100冊のなかの一冊。100冊シリーズはさすが。深かった。

この本が読み継がれているのは、「強制収容所の体験記」にとどまらず、「人間」という生き物の本質に踏み込み「生きることとは何か」という問いを考えている点にあると思う。

心理学者である著者が、強制収容所という過酷な状況におかれた人の精神の崩壊への道筋を学者の観点で分析している。それは他者の視点ではなく、ときに自分の心理状態にも言及しており、「他人事」ではない「体験した人」の観点がよく表現されていた。

死んだほうがましという環境で、「何のために生きるか」を考えた著者が到達したのは、「生きることからなにを期待するかではなく、……生きることがわたしたちからなにを期待しているかが問題」ということだった。「生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、生きることが各人に課す課題を果たす義務、時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることにほかならない」と著者は言う。

「具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務とたった一度だけ課せられる責務としなければならないだろう。(略)だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみを取り除くことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ」

どんなときにも与えられた運命にどう対応するかという自由がある。生きるとは死や苦しみを含んでおり、そこに内的な自由があれば人は生きていけるということを体験した著者。発想の転換というか、生きることに期待するんじゃなくて、わたしたちが何を期待されているかという言い回しは興味深かった。

Iちゃんとの飲み会でも話題に出たけど、彼女はこの本を小学2~3年生のころに読んで感想文を書いて賞をもらったらしい。恐るべし……。