『僕が批評家になったわけ / 加藤 典洋』

僕が批評家になったわけ (ことばのために) 僕が批評家になったわけ (ことばのために)
加藤 典洋
岩波書店 2005-05-21
出版社 / 著者からの内容紹介
批評に背を向けても、私たちは生きられる。だが、もし批評がこの世になかったら、私たちの思考はいまよりもっと貧しいものになっていたのではないだろうか。批評とは何か。批評のことばはどこに生き、この世界とどのように切り結んでいるのか。批評という営みが私たちの生にもつ意味と可能性を、思考の原風景から明らかにする。
Amazonで詳しく見る
by G-Tools

タイトルに惹かれて読んだ。が、難しかった。

私が知りたかったことは “批評とは何か”ということだったんだけど、どうも自分の求めていた答えは得られなかった。もちろん「批評」について書いてはあったんだけど、それは批評の成り立ちであったり、タイプであったり、効能であった。私が知りたい”批評とは何か”は、単純に批評と感想の違いを知りたかったのだ。

例えば、私はこうやってブログに本の感想を書いたりしてるけど、これは批評ではない。あくまでも感想だ。では批評は感想と何が違うのか?批評家は何をもって素人の感想文とは違うと言えるのか?

自分では知識量と斬新な視点が批評家たる所以なのかなあと思っていたんだが、最初のほうの著者の一文でガツンとやられた。曰く「批評とは、本を一冊も読んでなくても、百冊読んだ相手とサシの勝負ができる、そういうゲームだ」とある。これは著者が柄谷行人の批評をしようとして、その圧倒的知識量に及び腰になったときに思ったことだそうだ。え、批評って別に知識無くても良いの?……これで、ますますわからなくなった。

批評に知識量が関係すると思った理由は、批評は作品を分析することが必要かなあと思ったのだ。その分析には個人の思い入れじゃなくて、作品の位置づけをするために他との比較が必要なのではないかしらと考えたのだ。ググったら「個人の感情の問題だから感想に反論はないけど、批評には常に反論が可能」と書いてる人がいたんだけど、これにはなるほどと思った。感想は主観で批評が客観ってとこか。

評論という分野を知らないせいか、著者の言葉や引用箇所が入ってこなかった。小林秀雄ってよく国語のテストに出てきたなあ。一冊も本読んだことないけど。評論文ってなんだかとっても難しい。

結論: よくわからなかった