ほつれとむすぼれ 田口 ランディ 角川書店 2004-03 内容(「BOOK」データベースより) 世界は新しい対立の時代に入った。いざこざや、怒りや、憎しみや、嘆きに身もだえしながら、夜になると寝て朝になれば目が覚める。そして食べて働いて生きる。小さな街の一断片として生きるのだ。営み生きるものの思いは繋がっている。その地上にはまだ光が満ちている。それがすべてだ―。生活の現場から、人間と社会の深層を見つめ続ける著者。その魂に映った「世界」とは?心に響くスピリチュアル・エッセイ集。 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
合わない。この作家とはどうも合わない。
このエッセイを読んでて、「理不尽な怒り」(作中に出てくるフレーズ)がこみ上げてきたので、それはどうしてなんだろう?と自問自答しつつ読了した。「すげえ」とか「じゃねえの」といった単語が気になるのかしら?(私も使ってしまうけど) 「私は」「私は」的な面が気になるのかしら? 同じ女性だからなのかしら? どこか自分と似てるのだろうかしら、同属嫌悪? インターネットから出た作家だから、自分たちと同じ立場だった人がこうやって一説ぶるのが癪に触るのかしら? などなど考えてみたんだけど、ぴんとこない。どれも違う気がする。なんだろうね、これ。
なぜ田口ランディを読もうかと思ったかというと、この人の兄の話をネットで見たから。彼女の兄は働くことを拒否してひっそりと部屋で餓死したらしい。そして彼女は「生きるとは?」ということをずっと考え続けている。兄の記述にドキリとしたのだ。彼女の兄が何を考えていたのか知りたいと思って、エッセイを読んでみたのだけど、その話は少しだけだったので他のものを読まないと駄目かもしれない。エッセイと小説は違うだろうから、あと一冊だけトライしてみようと思う。
初めて読んだ作家だけど、彼女が客観的に(自分を出さないで)書いているものは良いと思った。物事を自分で咀嚼しようとしてがんばってる姿が伺えて。でもそうじゃないものは我が強く感じる。読む前に彼女をもっと知っていれば(例えばブログとかインタビューとか)また自分の感じ方も違ったんだろうけど。