『黄泉の犬 / 藤原 新也』

黄泉の犬 黄泉の犬
藤原 新也
文藝春秋 2006-10
内容(「BOOK」データベースより)
藤原新也インド旅伝説に新たに衝撃の一章が加わる!青春の旅を記録した処女作『印度放浪』から34年―その長きにわたって著者が封印してきた衝撃の体験がついに明かされる!『メメント・モリ』の感動を再び甦らせる。藤原新也、インド紀行完結篇。
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読書のいうのは、その本と受け手のバイオリズムがうまく合ったときに「腑に落ちる」的なものがあるんだと思うんだけど、今回は自分にとってそういった類の本だった。

藤原新也という作家とは御多分に漏れず、十年くらい前の「メメント・モリ」が最初の出会いで、ずっと写真家のイメージだった。しかし、今回文章を読んで万人向けではないかもしれないが、ある種の人間には非常に惹きつけられる文章を書く人だと知った。

この本はオウム真理教の麻原の兄へのインタビューの前半と、インドでの話の後半の2つに分けられる。前半も新しい切り口で面白いが、個人的には後半が良かった。インドの宗教観、サドゥや火葬場に、自分のインド旅行が鮮やかに思い出された。あと、この内容紹介はちょっと的外れな気がする。あの時代の宗教(自分探し)に走った若者を非常によく描いてると思うのに、これだと紀行文のようじゃないか。

読んでる途中にふと気づく。「そうか、自分は現実性(リアリティ)を人生に求めてるのかもしれん」 

大学生活に倦んで、インドに行ったら何か変わるかしらと行ったのが最初の海外旅行だった。衝撃は大きかったけど、結局は何も自分のなかでは変わらなかった。それじゃあと、とりあえず30歳まで仕事してみたけど、特に人生かけて熱くなれるような出来事がなかった。んじゃんじゃ、海外で生活したら変わるのかしらとアフリカ行ったけど、やっぱり変わらなかった(むしろ駄目になった・笑)。ちなみに「何か変わる」というのは自分の内的なもの。この醒めてる感覚とか生きるの面倒くさいとか、そういうの。

つまり、自分が人生において追い求めてるのは「生きている」というリアルの感覚なのかなあと。最近の自分流行のジョギングも、頭で考えることから肉体を使うということにスライドさせて、生のリアリティを求めてるのかもしれない──なんてそこは考えすぎか。しかし、こういうことを考え続けて、自分に酔うのも気持ち悪いのでまぁ程々に。

以上、まったく本の感想にはなってませんが、私にはそういったことをつらつらと考えた本だった。非常に個人的な「出会い物」な一冊。他の藤原さんの本も読む予定です。