<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス 永井 均 講談社 1996-05-20 出版社/著者からの内容紹介 悪いことをしてなぜいけないか。ぼくはなぜ存在するのか。この超難問を考える。青年の哲学・大人の哲学・老人の哲学――子どもの哲学の根本問題は、存在である。森羅万象が現にこうある、というそのことが不思議で、納得がいかないのだ。ここでは問いは、どうしたらよいのか、ではなく、どうなっているか、というかたちをとる。人生や自己が問題になる場合でも、それは変わらない。存在論はもちろん、認識論や意味論、そして科学哲学や言語哲学のすべての根底には、子どもの哲学がある。哲学発祥の地古代ギリシャでも哲学の徒は〈子ども〉だった。ローマ人やヨーロッパ人の多くは、意味もわからず、そのまねをしてみただけだろう。青年の哲学の根本課題は、人生である。つまり、生き方の問題だ。いかに生きるべきか――このひとことに青年の問いは要約される。――本書より Amazonで詳しく見る by G-Tools |
前に読んだ本が面白かったので、読んでみた。うん、読んでよかった。
題名に惑わされますが、決して<子ども>用の本ではありません。私も一生懸命読んだつもりなんだけど、解釈できない部分は目がすべったので、ちゃんとすべては読みこなせなかった。しかし今更なんだが、この本のおかげでうっすら思っていたことが言葉としてクリアになったのよ。
曰く、「他人の哲学なんて、たいていの場合、つまらないのがあたりまえなのだ。おもしろいと思うひとは、有名な哲学者の中に、たまたま自分によく似たひとがいただけのことだ、と思ったほうがいい。」ってこと。
考えれば当たり前なんだけど、学生時代はそれをわかってなかったんだな。授業で、他人の哲学書を読むときに全然わからないのって、それが「他人の」哲学だからなんだね。でも本来、哲学は「自分の」哲学であるべきなんだよね。それが誰にも理解されなくてもそれを問題として考え続けるのが「哲学する」ってことと著者は語ってる。どうも “哲学をする=哲学者の思想を学ぶ≒哲学史を学ぶ”ような流れが学校にはあったからなあ。ああいうのは、「誰がどういう考えを持っていて、これは自分の問題と似てそうだから考えを拝借しよう」ぐらいのスタンスで良かったんだな。
あと、著者は子どものころから「ぼくはなぜ存在するのか」ということを考えて、そこから他者と自分の差異や世界の構造なんかを考えていた。この「自分と他者の違い」は、かなり私にぐっときた。私もずっと似たような問題を考えていて、詳しくは語らないけど結論は「他人とはわかりあえない」なんだな。永井さんはそこまで言ってないけど、子どもの頃から考えてきた筋道がきちんとしていて、なるほどなあと思った。哲学する人はこうやって考え続けていくんだな。もう1つの問いの「なぜ悪いことをしてはいけないのか」は “道徳”について語っているんだけどよく読みこなせなかったのでパス。
わたしの問題が一番たいへん。だってわたしの問題だもの。
こんなコピーがあったような気がするんですが、他の人には理解されないかもしれない自分の問題を考え続けてもいいのです、むしろ考えろ と後押しされたような本でした。面白かったのでまた他の本も見てみよう。