文系のための数学教室 (講談社現代新書) |
*多少酔ってます。
これもvamoくんのおすすめだったかな?読んでみました。
うん、文系からの見方(日常の論理、民主主義、哲学など)とわかりやすい切り口で面白かったです。多少、それはどーかなーと思う点もあったけど、数学の式を使って色々と説明してくれたのが変に表面的じゃなくて良かった。もともと微分積分を理解しようと学んでいる数学道だけど、なんとなーく見えてきた気がする。積分というのは曲線のある面積を求めるのに、部分を細かく分けて面積を求め、それらを足したものという観念でいいのかな。昔、領主が領地に税金をかけるのに正確に面積を求める必要があったけど、川が曲がっているから求めるのが大変だったとどっかで読んだ。
ただ微分がいまいちまだつかめてない。その一点における状態がわかると最大値や最小値、それを加速と考えると未来の位置がわかるという感じなんだが、一点の状態がわかると未来がわかるというのがどうも繋がってないのよねー。dxとかdyが出てくる記号は「とっても細かい」という意味はわかった。実際には differential らしいんだけども。略語は意味を知るのが大事っすなー(IT略語なんて特に)。
あと今回の驚きは民主主義を数学的に考えると、個人の好みが集団に反映されないということが証明されているということだ。なんでも経済学者のケネス・アローによる「アローの一般可能性定理」によると「個人の選好から集団の選好を決定する方式(関数)で、決定された集団の選好がこの5条件を満たすような方法(関数)は存在しない」ということらしい。5条件というのは、推移率、正反応、独立性、市民主権、非独裁ということだが、詳しくは wiki へ。難しいことがあれば「国民投票すりゃいいのに」と単純に思っていたんだけど、そうか。そういうこともあるのか。なんか騙されてる感もあるので、どっかのエライ人がこの論を覆してくれるのを待ちたい。あと文系としては、ドストエフスキーを思い出した。大多数の無知による多数決の結果って正しい結果を生むか?ということだ。でもこれって非常に傲慢な考えなんで、別に正しい・正しくないは要らないのかもしれないとも思う。でも科学が弾圧された歴史を考えると(天動説とか)、やっぱり正しいことは正しいとも思う。難しい。個と集団て別物だよね。
そうそう、本日体調悪いんで、MZ飲みをキャンセルしてしまいましたがご帰国なさった方、お疲れ様でした。