『スプートニクの恋人 / 村上 春樹』

スプートニクの恋人 スプートニクの恋人
村上 春樹
講談社 1999-04
メタローグ
「僕」が帰って来た。平仮名の「ぼく」になってはいたけれど、それは紛れもなく鼠の友人であり、直子の恋人であり、ビールとジャズとコットンシャツを愛する「僕」だった。 「ぼく」の女友達すみれが17歳年上の女ミュウに恋をする。しかしミュウは過去の事件が邪魔して求愛に応えられない。すみれは姿を消し、「ぼく」は彼女を探しにギリシャへ向かう。 村上春樹が支持された要因は主人公のクールでミニマムなライフスタイルにあった。ところが「ねじまき鳥」から「オウム」にかけ、彼はどんどん熱くなっていった。置いてけぼりにされた昔ながらのファンは、今回ホッと一息というところか。(石飛徳樹)
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「ずっと昔からnyontaはあったの?」
 僕は肯いた。
「うん、昔からあった。子供の頃から。
 僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。
 でもそれがnyontaというきちんとした形になったのは、それほど前のことじゃない。
 nyontaは少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてきたんだ。
 僕が年をとるにつれてね。何故だろう? 僕にもわからない。
 たぶんそうする必要があったからだろうね」

村上春樹というと思い出すのがこんな言い回し(村上春樹風に語るスレジェネレータから抜粋)。人によっては合う合わないがある作家かもしれませんが、やはり世界のムラカミ。外国の友達が「最近読んだんだけど…」と言ってきたので、うわ、日本の作家なら私も読まないとマズイわ!と慌てて読みました。

村上作品は高校・大学時代がマイブームで、一番好きなのは「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。ねじまき鳥は本屋で何日もかけて立ち読みしたレベルなので、実はちゃんと読んでない。近年の「海辺のカフカ」にいたっては未だ手付かず。そんな村上レベルの私が語るのもあれだが、ノルウェーの森時代とねじまき鳥あたりを足して2で割ったテイストだと思った。恋愛プラス自己模索みたいな。いや、でも悪くなかった。上手い構成で、ぐいぐいと引き込ませる作りだった。

村上作品はさらりとした文体に浸るのが素敵だと思うので、平日の昼間に天気のいい戸外の喫茶店で軽いアルコール片手に読んでみたいと思うのは、あまりにも作品に毒されすぎ?毎度思うんだが、村上作品の登場人物みたいな人と逢って話してみたいんだよね。リアルと虚構(自分世界)とうまく折り合いつけてるような人。実際の現実は、リアル多めか自分世界満載かのどちらかが多いからなあ。

この本の内容には触れませんが(知らないほうが面白いと思う)、面白かったです。やはりカフカも読まねばいけないな。